蜃気楼に色は無い


何年経ってもふと、思い出す人っていないだろうか。


それは片想いしてた相手だったり、両想いだった相手だったり、憎い相手だったり、

特に理由は無かったり。



私にも何人かいる。そういう人が。



その内の1人。仮にA君とする。その子は小学校と中学校が一緒だった。

色白で大人しくて、本当に大人しくて。人見知りで声が小さくていつも1人でいる男の子だった。決していじめられてるとかでは無かったと思う。



同じ地区に住んでたけど近所ではないし家の場所も知らないし、小学校高学年になるまで接触することはまるで無かった。

高学年になり、その子と縦割り班で一緒になったのだ。あーこの人確か静かな子だ、と思った記憶がある。ただ私も大人しい子だったので居心地の悪い感じはしなかった。当時は今ほど人見知りではなかった(当社比)からというのもあるかもしれない。


自分の意見を言わず静かに自分の仕事をこなす子だったので頼んで班長をやってもらった記憶もある。これは申し訳なかった。感謝してる。


A君はは少し変わった名前で、縦割り班の低学年の子とA君の名前の発音で言い合いになったことがある。言い合いといってもじゃれ合い程度のもので、喧嘩とかそういうことではない。だとしても言い合いになる時点で私の大人気なさが滲み出ているのだが。

「どっちが合ってる?!」と低学年の子と私は、A君に聞き迫った。A君は苦笑いしたまま何も答えはしなかった。優しい子だった。




そんな感じで中学に上がり、初めて同じクラスになった。(田舎で中学の数が少ないので同じ小学校の子はほぼみんな同じ中学校だった)


とはいえ普段の日常でA君と雑談を交わすようなことは全くなかった。特に話すことも無かったし互いに人見知りなので必要最低限のコミュニケーションくらいだった。


しかし同じクラスになれば過ごす時間も格段に増える。

A君は喋りはしないが、同じクラスで面白いことが起きれば声を出さずに笑っていた。自分が思っていた以上によく笑う子なんだなと、初めて気付いた。


球技大会の時、A君はバスケをしていた。細身で運動のイメージは彼には全く無かった。

何気なく男子バスケの試合を見て驚いた。A君めちゃくちゃ動けるやないかい。ボールさばきとかそれどこで習得したものやねん。パス受けた後の機動力半端ないやんけ。

ただ、消極的な彼の性格がそうさせるのか、別に関係はないのかよく分からないがボールを受けてもすぐにパスを回すのでその機敏なプレーが特別目立つようなことはなかった。



1番印象に残っているのは「自分の宝物」についてみんなの前で話す授業でのことだった。いや本当は宝物だったか「オススメのもの」だったか「単なる物の紹介」だったか定かではない。なんせガラスの記憶力だもの。

各々個性的なものの紹介が出てくる。さすが中学生。私は「とびだせどうぶつの森」のゲームについての紹介をした気がする。軽く死にたい。



その時A君はシャーペンだかボールペンだかについて語った。A君は小さい頃他県から引っ越してきて、その際に友達からもらったものなのだと。他県出身であることもその時初めて知った。

淡々と、普段よりは少し大きい声でもらった経緯について簡単に語り、それをもらった時のことを話すも昔のことなのでもうよく覚えていないらしく「なので僕は考えるのをやめました。」と語った。




いや何だこの人

めっちゃ面白い人じゃないか


と思った。


紹介でエピソードの一部を思い出せなかったから考えるのをやめたことを語るて。

何だそれ。何だそれ。面白いとしか言いようがない。皮肉とかじゃない。発想が純粋に面白い。当時中学生の私はワクワクした。


正直その時なぜクラスで笑いが起きなかったのか不思議なくらい、A君は普段の大人しい姿からは想像しにくい程シュールなユーモアを含んだ紹介トークを繰り広げてくれていたと思う。淡々と。





話させれば面白い人だし成績は微妙らしいが実は運動神経も良かったりするしそして彼はよく笑う。



大人しいゆえに目立たないが、あらゆる可能性を秘めてる人間なのではないだろうか。私の中で彼に対するリスペクトのボルテージはどんどん上がれど、特に距離感は変わることなく。

面白え!と私が思っただけで特にその後何かが変わるとかそういったことはなかった。青春は度し難い。



ここで言っておくが私は彼に恋をしていたわけではない。ただ何となく気になる存在であったというだけで。いやだから無自覚なだけで実は〜とかそういう恋とかではなく。

語彙力に乏しいので本当に気になる存在だったとしか言いようがない。老化だなんていやそんなまさか。




そして高校に上がったが、A君はどこの高校にに行ったのか、未だによく分からない。

高校の数なんて中学より少ないのに誰も彼がどこに行ったのか知らないらしい。他県に行ったのか、進学する人が少ない少し遠めの高校に行ったのか、今どうしているのか、私は何も知らない。




ただ、静かに、けれど確かに、輝くであろう原石を秘めていた彼が、

今はどこかで満たされた生活を送ってくれていれば良いと、私は思う。

行き着く先


舞台が 演劇が


好きだ




映画やドラマより

好きだ





きっかけこそ数年前に某有名漫画のミュージカルからハマったものだけど


演劇が 演劇自体が 好きなのだ




しかしまあそういった所謂2.5次元と呼ばれる舞台から入って 演劇好きです!なんて言ったところで「はいはい好きなのはイケメンでしょ?」と「若手俳優好きが意識高い系のこと言ってるだけでしょ?」と

そう思われても正直致し方ないとは思う


イケメンが好きなのかと問われればそりゃ「好きです」としか言いようがない

美しいものは好きだ 美少女だって私は好きだ



某有名漫画のミュージカルからハマった当初は そりゃ演出どうこうよりまずイケメンが観たい気持ちの方が遥かに勝っていた

ただ歌が好きでミュージカル自体は前から好んで観ていたので音楽の方は邪な気持ちなく聴いていた

邪な気持ちって何だ





それから数年

自転車競技漫画の舞台が高く評価された頃 手当たり次第色々な漫画が舞台化される時代が訪れた


最初こそ物珍しさから興味を惹かれたものだったがあまりにも舞台化が続く上にキャストも同じような人ばかりで少し辟易していたこともあった



そしてなんだかんだ好きな漫画が舞台化されてしまえばミイラ取りのミイラの如く観劇してしまう


そして今の推しに出会った





1人の若手俳優に入れ込むというのはもう数年ぶりくらいのことで


推しの芝居を観たいがために色々な舞台を東京まで観に行った

初めて1人で高速バスに乗ったり

新幹線の快適さの虜になりかけてしまったり

色々な経験が出来た




推しを観る ということが主な目的だったが推しを通して色々な作品を観ていく内に 「演劇」が好きになった





映画は何度も撮り直し 格別なシーンをつなぎ合わせて最高の作品を作っている


しかし演劇は生物だ

日によって微妙に違いはあるし

何より物語の世界と同じ空気を吸えることが何より楽しい


映画を観てて「楽しそうだなあ この世界に入りたいなあ」なんて思っても液晶の中には入れないわけで



しかし演劇は物語が起きている様を肉眼でみることが出来る

空気感を肌で感じ取れる

肉声で台詞を聴くことが出来る

現実と切り離された特別な空間に自分はいるのだと 錯覚出来てしまう




だから好きなのだ 演劇が





もちろん演劇にも様々なものがあるわけで


あえてメタ発言多めで現実要素過多の演出や表現で笑いを取ったり


観劇者参加型の演出もあったり


楽しみ方もまた様々だ







若手俳優が好きなのは否定しない



けれど同じくらい演劇自体も好きだということをわかって欲しい



それでもやはりイキっているただのイケメン好きの戯言だとしか感じられないのならそれはそれでいい







推しへの愛だけで交通費往復数万円の舞台に複数回足を運べるなんて難しいと思わないか という話である







高天原蒜山という男


先日「帝一の國 -大海帝祭-」を観劇してきた

8月12.13と計4回観劇してきた


11も行けばよかったと余裕で悔いることが出来るほどに楽しかった





帝一の國というのは以前スクエアに連載されていた漫画で既に完結済みの作品である


簡単なあらすじとしては


時は昭和、主人公である赤場帝一は内閣総理大臣になるという夢を持つ高校1年生

まずは政界に偉大な政治家をたくさん送り出した海帝高校にて、将来のアドバンテージとなる生徒会長を目指し奮闘していく


と ザックリもいいところではあるがこういったような物語である





野心家だが若干情緒不安定なハートを持つ帝一や


策士なはずなのに小物臭がすごい小悪党ライバルの菊馬や



後半に出てくる正義感溢れる不良1年生の久我や



時代を感じるアイドル的存在で心はキュートな女の子の玲ちゃんなど



個性が強く好きなキャラは割といるのだけれど






私はセトリもといセティもとい瀬戸祐介さん演じる高天原蒜山がのたうち回る程に好きだ

好きになってしまった



高天原蒜山

たかまがはら ひるぜん



ようはラスボスキャラである





元々悪役サイドに感情移入しやすいタイプなので原作を見た時からそこそこ好きなキャラだった

あくまでそこそこ




だったのだが舞台を観て更に好きになってしまった

崖から足を踏み外して一気に急降下して強く頭を打ち付けたような気分だった

そしてその痛みがこれまたなかなかひかないのだ

あぁ痛ぇ





舞台ではセトリもといセティもとい瀬戸祐介さんが演じている




私はテニミュで鳳をやっていた頃の瀬戸さんしか知らなかったので正直初めて舞台の二章を観劇した時、本田先輩の時も蒜山の時も 誰だこの人状態であった  

私の記憶力的な問題もあるけれど  勿論良い意味で誰なんだろう と



ファンからセトリと呼ばれてる瀬戸さんは知っていたがいつしかセティと呼ばれてる瀬戸さんは初めて知った



もう31歳になったことも初めて知った

思ったよりは歳を取っていなかったなと感じた


個人的体感だとテニミュ1stの頃の俳優は まあ世代にもよるのだけど みんな30代後半〜40手前くらいの年齢になっているようなイメージがある

テニミュ1stが何年前か覚えていないのだ

つまりはただのド偏見である









高天原蒜山 

天照霊波救世教という宗教の教祖の息子として生を受けた

教祖の息子としての重圧、連日女や酒に明け暮れる父親、そんな父親が敷いたレールを歩むことを強制される息苦しさに不満を抱え続ける幼少期を過ごしていたため、やや凶暴で荒々しい子供であった

そんな中 似た境遇で育つ総理大臣の息子、野々宮裕次郎(愛称:ユウ)と組み 汚い大人への報復をはかり 子供だけでマヨネーズ皇国を作り 町中をマヨネーズだらけにし 大人に怒られ もうオイタをしないよう実の親に機械で洗脳され

その後はしばらく穏やかに過ごす…

が いつしか洗脳は解け幼少期の荒々しい性格が目を覚ましてきた彼は、自分の家の宗教を国教とさせ 日本を世界一強い軍事国家へと創り上げようと企む



 といったようなキャラだ


戦争は正義!という価値観の持ち主なのだ

ラスボスによくある傾向ではある






だがこれは蒜山を演じた瀬戸さんも言っていたことだが


蒜山は自分を「悪」だとは思っていない

手段はどうであれ、蒜山は自分が1番正しいと感じる道を選び、それこそが正義なのだと信じた上で自分を貫き通そうとした

それが日本のためなのだと信じた

相棒のユウと供に






だがそんな中でユウは、目的達成まであとわずかというところで社会的地位を犠牲に、父親とのわだかまりが溶けてしまう

無意識に1番欲していたものを手にしてしまうのだ



蒜山を残して




そしてユウはこれまでの行いを「反抗期だった」と言い、蒜山の元を離れた上でやり直すことを決意する




顔を歪めていた蒜山の気持ちよ


歪めたくもなるよなそりゃ





目的達成は邪魔され、憎んでいたはずの存在である大人に相棒は絆され、その後仲間には掌を返される




諸々犠牲の多い手段をとっていた報いではあるが、高校1年生の蒜山にとっては悪夢の連続だっただろう






そして戦いに敗れた彼は天照霊波救世教の洗脳をマスコミに暴かれ、世間からバッシングを浴びることになる

結果、学校を1人でひっそりと退学

父親とは絶縁し 日本一厳しい修行をしているという寺に入ることになる



えっ

何で?


とまず思うと思う



この蒜山の道について、作中では「彼もまた様々な葛藤を抱えた十代の若者だったのだ」と記してある




幼い頃から新興宗教の後継者として重圧を受け


その重圧故に芽を出していた反発心はいつしか日本を揺るがしかねないものになるまで成長を遂げ


しかし花咲く前に根は切られた




彼はそこで

空っぽになったのだと思う



夢も 理想も 重圧も 反発心も


全て失い

全て解き放たれた





修行に入ったのは



罪悪感による償いなのか

世間からの逃亡なのか


かつての相棒も言っていたように


生まれ変わりたかったのか




いや十代の葛藤に答えを見出そうとするのもナンセンスな話ではあると思うが




日本を宗教で支配しようとした彼の中身は

あくまで高校1年生なのだ




軍服のような制服に身を包み独立国家を作るぞ!と声高々に宣言しようとも

戦争が引き起こされる手段をとっていることを自覚していようとも




相棒に裏切られれば思わず口調も幼少期の頃のようになるし

仲間が離れれば顔を覆って泣いてしまう




そんなアンバランスな心と体を持つ蒜山

妙に惹かれてしまうのだ



長々とややこしいことを書いたが

ここまで惹かれたきっかけとしては舞台での瀬戸蒜山のビジュアルや振る舞いがただただ美しくて格好良かったから

という至極単純なものである





いやほんと瀬戸さんの蒜山は妖し美しいから

なんなら本田先輩との演技の差にもおったまげるから

ビジュアルにも芸にも惚れてしまうから



舞台の蒜山は割とかなり大分ぶっ飛んでいる

舞台の色が色だからというのもあるが、原作に1ミリもそんな要素はないのに急にラップ口調になっちゃうロックな蒜山だったりする


しかし独特の口調はもちろん、どこか優雅な雰囲気を匂わせる仕草や 堂々とした振る舞い、歩き方など

どれを取っても「蒜山らしい」というのだろうか


原作と違うコメディ要素を結構含んでたりもするのに


あぁこれも紛れもなく


高天原 蒜山」だな と


そう思わせてくれる



そんな素敵な蒜山を演じてくれた素敵な瀬戸祐介さんに祈りを捧げたい所存である









まぁとにもかくにも

大人のような子供であり

子供のような大人でもある

高天原蒜山が好きなんだなぁ

という話なのだ




蒜山のキャラに厚みを持たせ、魅力に気付かせてくれた瀬戸さんには本当に五体投地モノである





帝一の國」原作はもちろん、舞台も映画もシュールなのに声を出して笑えてしまうとても魅力的な作品なので1人でも多くの人に知ってもらいたい


というか周りに読んでる人がいなさすぎるので少しでも広めていきたい




とりあえず


大海帝祭最高!!!!!!

瀬戸蒜山様最高!!!!!!!





ラテンな奴等


「三人の騎士」




というディズニー映画を知っているだろうか


これはもう随分と昔に作られた古い作品だ


この作品はドナルドを主軸として物語が進んでいく

私は主要キャラの中ではドナルドダックがダントツで好きだ  大好きだ

その理由はまた別の機会に語りたいと思う



この古い映画を観るきっかけになったのはひとつの動画だった


動画サイトを巡っていたらたまたま

ドナルドと そして見たことがあるような無いような  そんな鳥のキャラクター2人が「俺たち3人カウボーイ!強い絆で結ばれてるんだぜ!ヒャホー!」といった雰囲気の歌を歌いながら踊る動画に出会った



皆さんお馴染みの憎めないアヒル ドナルドダック  そして異常なほどの歌唱力を持つ雄鶏とオウムがそこにいた


その見た目に似合わぬ美声


疾走感のあるダンスと演出



ディズニー特有の絶妙なミスマッチさについつい惹かれてしまった

ディズニーのアニメや映画なんて物心つく前からたくさん見て来たのに



そんな「三人の騎士」大体のあらすじはこんな感じ


ある年のドナルドの誕生日、郵便屋からいくつかのプレゼントが届く


その内のひとつに絵本があるのだがその中からドナルドの友人、ブラジル出身オウムのホセ・キャリオカがサプライズで登場する



そしてホセが出てきた不思議な絵本を使って ドナルドはホセの愛する街ブラジルのバイーアへ案内されることになる


案内され何やかんや色々なことがありつつバイーアから帰還 そしてもうひとつのプレゼントから愉快な登場を遂げるのはスペイン出身 雄鶏のパンチート


ドナルドは彼らに振り回されながらも再び色々な街を案内されることになる…





といったような流れだ



実写映像とアニメ映像が融合した、当時は相当珍しいとされていた技術が駆使されている



トーリー自体は至ってシンプルだが、さすが古き良き時代のディズニー映画と言うべきか


演出が相当カオス

それはもう混沌の極みである


言葉に表しにくいのだ

かの有名な「ダンボ」にも途中ピンクの像がおかしなことをしているカットインがあったりもするが

この 三人の騎士 はほぼそういったカオスな演出で構成されている




だけど惹かれる



演出もそうだが

ドナルドを振り回すホセとパンチートのキャラクター性もそれはもう魅力的なのだ



ディズニーでは割と珍しい紳士的な振る舞いをする  しかしその割に「(相手をギャフンと言わせたいなら)これがいい^^」と言ってハンマーを差し出す腹黒紳士ホセ



カラッと明るくて兄貴肌  登場して早々に2丁拳銃をぶっ放しまくるトリガーハッピーな上に水をかけられようが火に囲まれようがものともせず歌い続ける不死身のパンチート





そんな2人におちょくられ振り回され途中で美人の白昼夢を見つつもボロボロになっていくドナルドの姿は流石プロと言うべきか

清々しいやられっぷりである


ちなみに始めからオチまでしっかりカオス&カオスなので

まず準備運動として脳を空っぽにしてからご覧になっていただきたい




そんな彼らは去年の夏にシーでパレードの前説を任されすくすくと知名度も広がってきているらしい




是非 暇すぎてどうしようもない または頭のおかしいものを見たい またはすることあるけど手が付かないし何か見るものないかな なんて思った時には


是非「3人の騎士」を買うか借りるかどうにかして見てみてほしい






その眼に映る


最近SNS認知症の祖母を介護していた方のエピソード漫画を読んだ


私の祖父母は未だ健在だし体の節々を悪くしつつも元気に暮らしている


孫の名前を一回で正しく呼ぶことは難しくなってきてはいるけど認知症とまではいかない年相応のモノ、というような感じだと思われる



祖父は寡黙でなかなか弱味をみせない、昔ながらの男性というようなタイプで 愛情はお金やプレゼントなど物で示してくれるような人だ


祖母は声を荒げることはなけれど口数の多い人で、それはもうエンドレスに喋り続ける  喉にマシンガンでも搭載してるのかと思うような人だ





無条件に私を甘やかしてくれる祖父母がとても好きだ


それは歳を重ねた今でも変わらない

私が遊びに行けば決まってお菓子を勧めてくれる あれがあるぞ これもあるぞ って 

私が何歳になったのか知ってるのかって 照れ隠しに考えながら食べるお菓子の味は変わらない


小さい頃はいつ何時でも私が  トイレに行きたい  と言えばついてきてくれて

誕生日にはあれが欲しいといえば値が張るものでもプレゼントしてくれて

風邪をひけば家まで来て看病してくれて

  • 私が少しでも危ないことをしようものなら大袈裟に心配してくれて






最近は祖母の元気が少しずつ無くなってきている


電話の声のトーンも若干低くなったし会えば自分の弱音や愚痴ばかり延々と語る


あの人がこんなことを言ってきて、言いたいことも言えないし、疲れるし、私は大変で、

って

 前も聞いたことがあるような話をちょいちょい相槌を打ちながら私は当たり障りない態度で聞く 







いつからだろう





祖母が自分の話ばかりするようになったのは




私のことについてあまり聞いてこなくなったのは





随分前に久しぶりに祖母と2人で近所を散歩した


なかなかに蒸し暑い昼間に 肩を並べて歩いた


隣にいる祖母を見て


痩せたな

小さくなったな

足取りはまだしっかりしてるな

でもなんだか


頼りな い

ような




大人になっていって身長が伸びて周囲と比べるとやや遅めだったけれど

私は少しずつ成長している 多分



祖母はどんどん痩せていって小さくなって


何だか頼りなくなったと 心の片隅で感じてしまうのが

たまらなく嫌だった


嫌だ



手を繋いで笑いながら歩いて祖母を見上げていた    小学生の頃の私の目に映っていた祖母のままでいてほしい


昔はあんなに大きかったのに

手も身長も


私が前に進むほど祖母が遠く感じてしまう

ただただそれが寂しい






けれど


私はもうトイレは1人で行ける

自分のお金でプレゼントを買ってあげられる

風邪をひいても自分で対処できる

危ないことは  まぁ たまにする



私が祖父母に恩返しをできるだけの下準備はもう揃えられているはずなのだ


分かっている これを始めることに早いも遅いもないと言うこと


むしろ遅ければ遅いほど後に悔いるであろうこと


次は私が手を引いて

私が話を聞いて

私が祖父母を甘やかす番なのだ



具体的にどんなやり方が一番の恩返しになるのかは分からない

これはきっと本人たちも分からない



肩を揉もうか

贈り物をしようか

延々と話し相手になろうか



色々やってみるしかない

今だからできることもたくさんあると私は知っている

こんなもので返せるわけがないなんてことも分かりきってはいるけれど





きっと次に遊びにいった時も祖父母は私に

冷凍庫の中のアイスを勧めてくれるのだろう